先生はバレエをやっていたんですか?
とよく聞かれるのですが、習っていたことは、厳密にはありません。
なんか、やってた風に見えるみたいです。
踊り初めは、中2の時に友達とダンス部に入部、一年間だけ「所属」していました。
「所属」と言うのは、学祭のダンス発表だけ。
ただその友達が
バトントワリング全国◯位!
という輝かしい成績を持った友だったので、
踊るとは、
ということをいろいろと教えてもらい、
彼女には強く影響を受けました。
その後、大学に入ってフラメンコを始めて、
最初の頃はクラシコエスパニョールに憧れを持っていたので、
卒業してからすぐに留学したマドリーでは、
パコ・ロメーロのクラシコのクラスを取りました。
しかし、バレエの知識はゼロですからーーー
それはもう大変でしたけど、当時大人数いたパコのクラスには、そんな感じの人も他にいたのか、
出来ないながらもなんとか続けていくことはできました。
しかし、クラシックバレエのクラスは1日で挫折し、
元スペイン国立バレエ団監督のエルビラ・アンドレスがクラスを行うと聞き
初日から勇んで参加したら、
それこそ国立バレエ団を狙うような女子達ばかりで、
ひとり、いたたまれないハポネサが混じってる、、、
みたいな状態。
一週間も続きませんでした。
すごいですねーーー。若いとは。怖いもの知らず。
マドリーの留学は、日本フラメンコ協会の新人公演に出るために一年3ヶ月で切り上げて帰ってきましたが、帰国前の3ヶ月くらいでもう少しクラシコとパリージョをやっておきたいと
クラシコは元スペイン国立バレエ団のカルメン・オサードに
パリージョは、クララ・ラモーナ(ガルロチに来ていたイサック・デ・ロス・レジェスのお母さん)
に個人レッスンで勉強しました。
日本に帰ってきてからは、
モダンな身体の使い方を知りたくジャズダンスを勉強しに
家城比呂志ジャズダンススタジオにてみうらけい先生に習いました。
ここでは2時間以上のレッスンの中で大部分をバーレッスンが占めていて、
フラメンコなら踊れる人なのに、
バーレッスンではカチカチの人。フロアレッスンになるといたたまれない人。
あのマドリーの再現のような時間でしたが、
みっけ先生の人を真摯なレッスンと人柄についていっていたようなものでした。
なので、10年ほど、そして年間10回も行けなかった状態で続けていたジャズも、
みっけ先生が病でこの世を去ってしまってからは、区切りをつけてしまいました。
その後は世のヨガブームにちゃっかり乗り、
それもまた今の今まで。
ヨガからも、新たな身体に対する気づきを得たり。
しかし、こうした流れの中で学んできたものが、私の普段のクラスのなかでの基礎のレッスンに組み込まれていて、同じことを何年も何年も繰り返し取り組んでいます。
繰り返しているうちに新たな発見もあり、
違うアプローチから説明してみたり。
一昨年は、フラメンコの友達が
「舞台でクラシコ踊ることになったんだけど、めぐさん、わかる?」
と聞かれたのをきっかけに、
私も疑問が色々あるから、これを機にスタジオにお呼びしている子供のバレエの先生に教えてもらおうと、
フラメンコのプロの何人かでレッスンしていただいていました。
みんな、
バレエのレッスンにはちょっと行ってみたんだけど、
いたたまれない人になってしまって、、、(すごいわかるー)
というフラメンコ界ではバリバリの人たち。
コロナで、それも中断してしまいましたが、
またチャンスがあればやりたいです。
年齢的にも下り坂なんで、
いま取り組みたいのは大人ゆっくりバレエかなぁと思ってます。